++水より薄く++

 

 
会いたいか、と。聞かれることはままある。会いたいと答えるのが常であるけれども本当にそうかと重ねられれば、嘘をつくか曖昧に誤魔化すか、いずれかの道しかない。
会いたいのは事実。しかし今更対面したところで交わす言葉すら無いのも事実。その気まずさを思えばいっそ会わないほうがましではないか。だからといって、会いたくないと公言するには遅すぎた。
浅薄な弟の考えなぞお見通しなのか、兄は自分に近寄りもしない。
瞬はのろのろと起き上がり、自室の窓から外を見下ろした。城戸邸の広い中庭で歓声を上げる数人の少年と、呆れたようにそれを見守る、少年達よりほんの少し年長の、彼。
来ていたのか、と他人事のように思う。
それもついさっき来たのではないだろう。彼は違和感なく少年達に馴染んでいた。少年が一人、…後ろ姿からして星矢だろうか、彼の肩を叩いて輪に引き込んだ。彼は苦笑して、押し付けられたグラブとボールを持って距離を置く。付き合いの良い事だと、妬心めいた感想を抱く自分に嫌気がさしながら、瞬はなんとはなしにずっと彼らを眺めていた。
先に避けていたのは兄の方だ。それでもただ優しい兄の面影を求めて追いかけたのは自分だった。変容してしまった兄が信じられなくて、追い詰めて捕まえて、そして愕然とした。兄は何も変わっていなかった。背は伸び、体格こそ比べ物にならないほど成長していても、彼の腕は相変わらず自分の為にあったし、彼の隣はいつでも自分の為に空いていた。
変わってしまったのは自分の方だったのだ。
自覚したとたん、あれほど切望した兄の存在が疎ましくなった。妙なところで聡い兄はするりと自分の手から抜け出してそれきりだ。
今となっては顔をあわせたくないのが自分なのか兄なのか、それすらもわからない。
ため息をついて、瞬は窓際から離れようとした。いつまでも張り付いているのも馬鹿らしい。だが、ふと外の空気が違えたような気がして、振り返ってしまった。
悲鳴が聞こえるのと、ガラスが割れるのは同時だった。勢いを失わぬまま、窓を突き破った凶器は部屋に飛び込み、割れたガラスが降り注ぐ。とっさに出来たのは頭をかばうことだけだった。
「……っ」
痛みは一拍置いてじわじわと神経を犯した。頭をかばった腕からぽたぽたと血が滴り落ち、高価な絨毯を染め上げる。瞬はああ、と嘆息して傷だらけの腕を物でも見るかのように確認した。傷自体は酷いものではない。むしろ、割れたガラスと汚れた絨毯の始末の方が気が重かった。これ以上血で汚すまいと傷口を押さえれば、ぬるりと腕全体に血が広がって、見た目にも凄惨な状態が出来上がり、閉口する。
「最悪…」
平穏に気を抜きすぎていたといえばそれまでだが、聖闘士としてあまりにも情け無い。
どうしてくれると、八つ当たりに近い心情で窓に視線を向ければ、意外な人が意外な距離でそこにいた。
「瞬、怪我は…」
「兄さん?」
窓から飛び込んできたばかりの兄と目があって、呆れるべきか怒るべきか、とりあえず習慣的に薄く笑みを浮かべた瞬に、一輝は血相を変えて歩み寄った。
「腕を見せろ」
「…たいしたこと、ないよ」
「血だらけだろうが」
「うん」
頷いて、抵抗もせずに腕をとられるにまかせる。一輝は弟の細い腕に幾つもの裂傷を確認し、眉間に深く皺を寄せた。血が一輝の手まで伝わって、赤い筋が二人を繋いだ。
すまん。
小さく呟かれて、瞬は一瞬きょとんとして、それから笑った。
何でもかんでも自分の責と思い込む所は、本当に昔から変わらない。笑うな馬鹿が、と怒ったように言われて、ベッドに座らされ有無を言わせず傷口を拭われて、その、口とは裏腹に壊れ物でも扱うかのような手つきがまた笑いを誘う。どうしてこの人はこうなのか。突き放せないくせに突き放す。
「腑抜けているからこんな目に遭うんだ」
「…うん」
「反省してないだろう、お前」
「だって、もうすぐ僕のかわりに反省してくれる皆が来るんだもの」
ベッドの横に跪いたまま憮然とした面持ちで見上げる兄に、救急箱あそこ、と指をさしてみせると、兄は不本意そうな顔で立ち上がった。衣服の上からでもわかる鍛えられた肉体、だがしかし無防備な背中だった。ふ、と瞬は唇に笑みを刷いてそのシャツをつかんで止めた。
怪訝そうに振り返る兄を無言のまま力ずくで引き寄せようとすると、妙な罪悪感でもあったのか存外素直に彼は腰を落とした。
「ねえ兄さん」
血塗れの両手で頬を包む。ぬたり、と血でぬめって手の平はわずかに滑った。
瞬はじっと兄の顔を見つめた。眉間の傷、男らしい精悍な顔立ち、荒れて皮の剥けた唇。どれもが自分と違って見えた。唯一同じような色味の目が、困惑を浮かべる。
「瞬、どうした?」
「どうもしないよ。するもんか」
だって僕は。
続けようとして、瞬ははっとドアを振り向き、一輝を突き飛ばした。
「……瞬?」
「瞬!ごめん大丈夫か!?」
不意打ちに一輝がよろめいて数歩下がったその時、廊下を派手に爆走していた一団が瞬の自室に乱入する。いまだ止まらぬ流血に、見慣れた顔が一斉に青ざめるのを目の当たりにし、瞬は苦笑した。苦笑することしか出来なかった。
「僕は大丈夫だから、星矢」
「悪い、俺が打ったんだ…。くそっ」
「こんなの傷のうちに入らないよ、ね?」
悔しそうな顔で頭を下げる星矢に、大丈夫だから、痛くないから、そんな事ばかり繰り返すのも苦痛で、自分で突き飛ばした兄の姿を自然と目が捜した。
一輝は少年達が弟に気を取られている隙に頬を拭い、何事もなかったかのように救急箱を手に戻ってきた。流石、と内心で毒づく。流石我が兄、いつでも冷静で大変結構。弟の奇行など気にも止めやしない。
星矢を蹴り飛ばして元のポジションを奪い返した兄に腕を差し出して、傷口に染みるエタノールに唇を噛む。閉ざされた唇の奥で、言いかけた言葉が行き場を無くしてまた裡に呑みこまれた。
ねえ兄さん。
どうもしない。どうもしなくたって僕はとっくにおかしいんだ。
 

 

*戻*

 


(050321)

 

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