++サブリミナル25時++
屈んだ拍子に落ちた亜麻色の髪から、ぽとりぽとりと水滴が滴る。見咎める一輝を余所に、どうしたの、と瞬は不思議そうに問いながらそのボトルを手にとった。風呂上りなのだろう。上気した肌と肩にかけられたタオルは湿っていた。 「瞬、」 瞬は呆れたようにしかめつらをつくって、わざとらしく眉間に皺を寄せた。そして、不自然に低いかすれた声で曰く、『瞬、髪を拭け。風邪を引いてもしらんぞ』。そして、声音を真似られ、さらに台詞を言い当てられて憮然とする兄に向かって彼は遠慮なくけらけらと笑った。 「兄さん、僕が病弱だった事なんてあった?」 「お前がまだ歩けなかった頃なんかはな」 そんな昔の話と一笑に付す弟からボトルを取り上げ、テーブルの上に戻す。瞬はとくに抵抗もせず、素直にボトルを放して傍のソファに腰掛けた。そしてまた、ぽたりと滴が落ちる。体温が元に戻ってきたのだろうか、白さを取り戻した項を滑る水滴は、一筋の跡を残してタオルに消えた。 一輝は無言でグラスをもう一つ取り出し、氷を落とした。瞬は訝しげにその様子を眺めている。 見るわけでもなくただつけっぱなしにされているテレビの映像はせわしなく移り変わる。グラスの中、琥珀色を映しこんだ氷に原色の光が融けこんでは霧散した。 弟はいつまでたってもグラスを受け取ろうとしなかった。それこそ氷のような無表情で、意図を図るように兄を見上げている。 手の中で、ちりちりと音を立てて氷が小さくなっていくような気がした。グラスを挟んで牽制しあう兄弟は、傍から見たらさぞ滑稽な姿であろう。一輝は苦笑したいのを堪えて、弟の隣に座るとまたグラス差し出した。 「どういう風の吹き回し?」 「18だろう、お前」 何の話だと眉をひそめた瞬は、しばらくグラスに視線を落として考え込んでいたが、やがて合点のいった顔で笑い出した。 「律儀だね、兄さんは」 一輝は答えず、さも不愉快そうにふんと鼻を鳴らした。やっとグラスを受け取った瞬は、躊躇いがちに口をつけて猫のように舌でちろちろと舐めたが、すぐに苦そうな顔して唇から離した。 「…まず、」 「だろうな」 その時バラエティ番組の司会者が奇声を上げ、二人の意識はテレビに向いた。ゲストの思わせぶりな発言は途中で切られてスポンサーの名前に替わる。急にトーンの落ちたテレビが映すウイスキーに、瞬がこちらを横目で伺った。まったく同じボトルがテーブルの上にある。買ったの?と呟くように聞くのに対し、一輝はここの酒は銘が鬱陶しいと答えになるようでならない返事をした。 瞬はふうん、と頷いてそれ以上詮索はしなかった。ぼんやりとテレビを眺めながらウイスキーを舌先で舐め、そして一呼吸挟んでぐいとグラスを傾ける。白い喉が40度のアルコールを嚥下するのを間近で目撃した一輝は、思わず弟の肩を掴んだ。 「…おい」 「何?」 瞬は首をかしげた。肩に乗せられた兄の手を気にする素振りを見せたが、すい、とその手から逃れるとテーブルの上に放置されていたリモコンを掴む。 から、と氷塊が揺れる。リモコンを這う白い指が探るPOWER、一際高いノイズに次いで静寂。部屋にたゆたう倦んだ空気はコマーシャルの名残とウイスキーの匂いを孕んで少しの棘を持っていた。 グラスを離れた瞬の手はソファの上で体重を支えていた。下から覗き込まれ、見上げる目に二年前の弟の姿が被る。不満気な目、ふくれた頬、尖らせた唇。16歳のまだ子供子供した弟からすぐさまグラスを取り返した。兄さんだって未成年のくせに!そう毒づいた彼の声はまだ柔らかく甘さを残していた。 「ねえ、兄さん」 幼さの抜けた容貌には含みのある笑みが浮かぶ。艶を帯びる潤んだ目、紅潮した頬、アルコールに濡れた唇。一輝の太腿に触れる手こそ硬く筋張った男の手になってはいたが、それでも線の細さ、色の白さは昔と変わることがなかった。相変わらず男臭さとは程遠い、柔和な美貌だ。嫌な成長をしてくれたものだと、一輝は少しだけ途方に暮れる。 「弟酔わせてどうする気?」 どれだけ先送りにしたとて、いつかは直面せざるをえない。解っていて尚逃げだしたかった。 |
(050601) |
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